ハダニの科学―知っておきたい農業害虫の生物学―

ハダニの科学―知っておきたい農業害虫の生物学―
佐藤幸恵・鈴木丈詞・笠井敦・伊藤桂・大井田寛・日本典秀・島野智之 編著
2024年11月1日刊行
朝倉書店,A5判,248頁
本体価格4,500円(税別)
ISBN: 978-4-254-17193-8

ハダニは果樹・野菜・花卉などの大害虫である。繁殖力が非常に強く短期間で大量に増えるので被害が出る前に対策をすることが大切である。しかし、体長1 mm未満と小さくて肉眼では見つけにくいので、被害が出るまで気がつかないことも少なくない。なんとも厄介な害虫である。一方でハダニは生物学の発展にとって重要なモデル生物という側面も持つ。そんなハダニについて応用科学と基礎科学の両面から解説する本が出版された。

本書は全十章からなっており、形態、生理、生態、遺伝、防除法などハダニについてあらゆる角度から解説している。第1章には「Q&A」が置かれている。ここでは「ハダニとは何ですか?」「なぜハダニを研究するの?」といった初学者の誰もが持つ疑問に対して簡潔に答えながら、関係する章を紹介する。

第2章「分類と系統進化」からハダニについての徹底解説が始まる。ここでは、まずハダニ上科の各属の形態の識別点を概説し、その後にハダニ上科の胸穴ダニ上目内での系統的位置付けとハダニ内の系統関係を解説している。次の第3章「形態」ではハダニの形態について器官ごとに詳しく説明されている。第2章と第3章は詳細な図と写真が豊富でありがたい。第4章「生活史」ではハダニの一生に何が起こるか、特に成長・繁殖・休眠について詳しく解説している。また、繁殖に関連して性決定様式と共生微生物について触れている。ハダニは単数倍数性決定をしている。そのため、雌雄の産み分けが容易で、性比は1:1から大きくずれることが多い。この点はハダニの行動や生態にも関係してくる。性決定については「遺伝」の章にも再度出てくるが、「行動・生態」の章より前の第4章に配置されているため読みやすかった。第5章は「生理・生化学」である。植物は防御物質を産生し植食者に食べられないようにするが、ハダニの方でも防御を突破する対抗適応(解毒酵素や誘導防御の抑制など)が生じている。この章ではハダニの対抗適応の生理的機構が要領よくまとめられている。また、ハダニに対する農薬の作用機構も解説されている。

第6章「行動・生態」は本学会員にとって最も興味を惹かれる章だろう。まず、集団構造と分散の話から始まる。ハダニは単数倍数性決定を行うため、一個体の雌から集団を創設することができる。また、移動能力が限られているため、非常に小さい空間的規模で遺伝的な分化が生じうる。このことはハダニの繁殖や社会を考える上で重要な前提なので、はじめにこの話を置いたのだろう。そのあとは天敵と捕食回避、繁殖行動、生活型と社会性といった幅広い話題が取り上げられている。いずれも最新の研究が紹介されており、充実した解説となっている。

第7章「遺伝」ではハダニのゲノムや特に薬剤抵抗性に関係する遺伝子について解説されている。ダニ類のゲノムは既に53種で解読されているそうだが、その中で最も早い時期に解読されたのがナミハダニということである。第8章は「農業被害と防除」である。ハダニの防除には薬剤を用いた化学的防除、二酸化炭素処理や紫外線を用いた物理的防除、カブリダニ類等の天敵を利用する生物的防除があるが、薬剤による防除が最も普通である。ところが、昆虫などと同様にハダニ類でも薬剤抵抗性が発達しており、薬剤だけでは被害を防ぐことはできない。そのためか本書では生物的防除に多くの頁が割かれている。ここでは薬剤と複数のカブリダニを使う時期を調節しつつ組み合わせ、さらに農地周辺の植生の管理までをも含めた防除技術体系が紹介されているが、その精密さには工芸作品を見るような感動さえ覚えた。第9章は「外来種問題」と題して近年日本に侵入し分布を拡大しているハダニ類と、まだ侵入していないが警戒が必要なハダニ類を紹介している。最後の第10章「実験法」では飼育や標本作成などの基本的なハダニの扱い方から薬剤感受性の検定方法、さらにDNAやタンパク質の抽出といった分子生物学的手法までを簡潔に紹介している。

各章の間にはコラムが置かれている。「ナミハダニの眼をレーザー光で焼き潰す」「ハダニにおける危険な情事—病原菌に侵された雌が魅力的?」などのコラムの題名だけで好奇心を刺激されるが、実際に興味深い話が多い。余白のところどころに可愛らしいダニのイラストが載っているのも楽しい。

以上のように本書の内容は多岐にわたる。おかげでハダニについて幅広い知識を得ることができた。また、その知識同士がうまくつながっていくのが気持ち良い。例えば、形態の章で出てきた項目が行動の話につながったり、行動の章の話が防除の話につながったりというような、ことがたびたびあるのである。伏線を張ってあったというわけではないのだろうが、構成が工夫されているのだと思う。研究をしていると対象生物の特定の側面だけを見ることになりがちであるが、本書を読んでハダニの全体像が見えた気がして、生物全体を見ることの大切さを改めて感じた。

井出純哉
久留米工業大学 工学部 教育創造工学科